■ History なにゴスの歴史

【Vol.1】 日程1999年4月30日 場所:近鉄劇場

第1回目は今から考えると本当に手探りだったな。とにかく「やりたい!」の一心というか、子供の頃から一度「やりたい」と思うと、絶対やるまであきらめんかったもんな。
でもいろいろと難しい事も多くてね。チケットのことから告知やチラシづくりやら集客のこととかまで、ぜーんぶ(多少の協力者はいてたけど)一人でやったもんな。
そして共演のグループの人たちにも随分助けてもらいました。
とにかく「しんどかった」けど「楽しかった」っていう第一回目かな。


【Vol.2】 日程2000年5月2日 場所:近鉄劇場

2回目は1回目と同じく、場所は近鉄劇場。
出演も「KMC」「スピリチュアルヴォイセス」など、仲間内のメンバーだったね。
この年に、知り合いのお坊さんがフェローシップとして出演してくれて楽しかったけど、自分のステージ上での発言が過激なこともあり、まあ賛否両論、とにかく物議を呼んでさ。
でもそれがきっかけで今の仲間たちや、藤井牧師とも知り合えて本当に波乱と感動と出会いと…
涙なしには語れない2回目の「なにゴス」でした。


【Vol.3】 日程2001年6月9日 場所:大阪城野外音楽堂

3回目は場所を大阪城野音に移して、規模もそれまでよりも更に大きくなった。
そして前年から始まったJMCのボランティア活動の流れで、「夢飛行」のみんなや、その他の障害者施設からたくさんの人が車椅子とかで来てくれてね。
嬉しかったな。もう一人一人に握手しに行ってさ。抱きしめて頬ずりしたくなったほどでしたよ。
それに昨年の2月に亡くなったけど、俺の親父も車椅子で来てくれてね。
でもこの日を前に凄く悲しい事件が起こってね。池田小学校のね。
本番前日の総合リハーサルの時に、この時から「なにゴス」の、そしてJMCの専属チャプレンになった藤井さんが、涙ながらにみんなにメッセージしてくれて…。本番はそりゃもう凄かったな。
自分自身プレイズナイトとの出会いで、大きな影響を受けた「小坂忠」先生も、EJ、JJC、WITHOUT YOU、それに塩谷達也さんも参加してくれて。
フルゴスペルも300人以上になって、最後は大感動でね。
終わってから思わず藤井さんと抱き合って喜んだよ。
第4回目の「何か」を感じさせるような素晴らしい「なにゴス」でした。


【Vol.4】 日程2002年8月3日 場所:なんばhatch

第3回目のテーマであった「JOYSPEL」…人と人との垣根を取り払って心の交流を求める…
我々(いや少なくとも俺)はずっとそれを追い求め活動して来た。
そして2001年12月、JMCはNPO法人として認可され新たな一歩を踏み出し、それと同時にこの「なにゴス」もさらなるステージにステップして行くように思えてならなかった。
この頃より、世間では「ゴスペルブーム」と言われ、多くの人がこの音楽に触れ唄ってたりしたよね。
そして唄っているうちに、少しずつその中に込められた「愛」を感じ始めているんじゃないかな。
その「愛」は、受け取る人によって中身も違うだろうし、箱を包むリボンの結び方さえ違ってる。
でもね、受け取るかどうか、また受け取ってもその箱を、そのリボンを解くかどうかなんてのは、その人それぞれだし、言い方を変えれば「自由」なんだよね。
「人間はなんの為に生きてるか?」って問われれば、俺は迷わず「幸せになる為」って答えるね。
まぁ、ひねくれ者はそうじゃないかも知れないけど。
できればこの「なにゴス」が、その箱の中身を見ることができるような<きっかけ>になればいいなぁ。
そう思うよ、本当に。
さぁ、迷ってなんかないで一緒に唄いましょうよ。そう客席の君もフェローシップなんだよ。
そしてこの素晴らしい神様からの「贈り物」とは一体何なのか、
共に確かめてみようじゃないか!そんな空気が会場いっぱいに溢れた第4回目でした。


【Vol.5】 日程2003年8月2日 場所:なんばhatch

「なにわゴスペルフェステイバル」は今年で5回目を数え、一つの節目を迎えることが出来ました。
この5年間の歩みの中で、本当に多くの人に支えられて来たことを心から感謝したいと思います。

2001年に我々ジェイズマスクワイアはNPO法人の認可を受け、さまざまな施設、学校、病院などでゴスペルを唄うことを通じて、多くのことを学びそして喜びを感じて来ました。
それはすなわち「生きる喜び」を感じたことに他なりません。

喜び・・・欲求や欲望を満たすこと、他人からの評価を上げること、もしくは仕事などの追われるものに追いつくことetc.しかし現実はそれらを求めれば求めるほど、どんどん喜びの本質から遠ざかってしまうような気がします。
生きる喜びとはなんだろう?
それはまさしく「命の輝き」を取り戻すべく、各が内からリバイバルされて行くことに他なりません。
そして「今の日本を生きる」私達にとって、大切なことの多くが、
このゴスペルの中にあるのだ・・・と、痛烈に感じています。
是非一人でも多くの方が、この日本で、そしてなにわの地で、私達が最も喜びを感じる事の出来る「言葉」と「文化」をもって、借り物ではない、物真似ではない、刹那(ブーム)ではない、真の喜びを「命の輝き」をもって表現しようではありませんか。


【Vol.6】 日程2004年7月31日 場所:なんばhatch

お祭りの日の夕方、家の軒に長椅子を出して、目の前には水を張ったたらいに氷。
その中には大きなスイカとラムネの瓶。浴衣のおじいちゃんのひざの上にはまだ幼い弟がちょこんと座り、その横ではおばあちゃんがニコニコとうちわであおぐ。
遠くで聞こえる祭囃子の笛の音にわくわくしていると、お母さんが手作りのチラシ寿司を運んできた。仕事を終えた風呂上りの父親が外に出てきて、一緒にそのチラシ寿司をほおばると、いよいよドンツクドンツク太鼓が打ち鳴らされた。
もういてもたってもいられず子供達は、まだ夕涼みをしたい大人達の手を引っ張ってお囃子が聞こえる方に向かって走って行く…子供の頃の一番の楽しみと言えばやっぱ「祭り」だったよな。
しかもこんな感じで家族総出で楽しんだもんさ。
オレなんか、なんも言えないけどね、でもいいもんだよ。
誰にとっても大切なもんかも知れないな。「家族の愛」って。
でも、ないよね。都会の真ん中で祭りなんて。
じゃあしゃあないか、作ろう!「祭り」を。
だってなにわゴスペル‘フェステイバル’なんだから。


【Vol.7】 日程2005年6月4日 場所:なんばhatch

ヴィジョンのひとつは「打ち破り」であった。この年のタイトルはその 象徴とも取れる言葉「REVOLUTION」。
改革、変革、革命・・・一見「過激」とも思えるこのキーワードの中に は、大きな変化を経てきた我々JAYE'S MASS CHOIRの姿が見え隠れする。40名以上いたクワイアメ ンバーは数人に減り、サウンドも大人数のそれから、ソロのゴスペルシンギングスタイルへと変わって行く。これ を衰退と呼ぶか、進化とするかは己次第だ。
与えられたチャレンジはまるで「ハデスの門」のように巨大であった。 同じくこれを苦しいと感じるか、感謝と取るかも己が次第である。
しかし確実に改革のウェーブはやって来た。誰に?我々自身に。
そして日本ゴスペル界を代表する2大巨頭、小坂忠さんと岩渕まことさ んの共演は、誰よりもオレの心を熱くした。
この第7回のなにゴスから得たものは、オレの中でゴスペルにある大き な「あかし」として、いつまでも輝き続ける。


【Vol.8】 日程2006年6月3日 場所:なんばhatch

よりシンプルにより楽しく。
そんな思いが詰まった第8回目のなにゴス。
おかげさまでチケットは早々とSOLD OUT!
ステージ上に組み上げたやぐらから音頭を取って「心に愛を」が会場に響き渡る。
そして日本を代表するゴスペルシンガーの競演により、ハイクォリティなステージが繰り広げられる。
ラストのフルゴスペルでは、書き下ろしたテーマソング「SING A GOSPEL SONG」を全員で大合唱!
会場はまさにGOSPELから流れ出す、愛と恵みに包まれた。


【Vol.9】 日程2007年6月2日 場所:なんばhatch

もう全てが最高のステージでした。初参加のBRENDA・VAUGHN、ZOOCOの歌声は魂に響く。吉弘知鶴子のピアノが天の窓を開く。音楽業界の一線で活躍するアーティストの賜物は、多くの人々を感動させるに十分なものであった。もちろん向日かおり、岩渕まことは、ジャパニーズゴスペルの可能性を存分に感じさせてくれた。この日会場に来てくれた車椅子の台数は60台以上!我々がNPO法人としてお付き合いいただいている施設の皆さんにも、本当に心から喜んでいただけた。受洗したての2人の息子(天太、真二)もKo-Jayesとして参加。それに吉弘の息子(ロニィ)もステージでトランペットで賛美してくれた。本当に感慨深く、神様の臨在を限りなく感じた、感動の一日でした。



Copyright (C) 2008 OFFICE J All rights reserved